虹と夢とあと何か曖昧なもの

 虹という存在が苦手です。
 『たそがれの國Ⅱ』という物語を書いた手前、あんまり説得力がないかもしれませんが、私は自分の苦手なものを物語の題材にすることがどうやら自分で思っている以上に多いみたいです。自分がそれを好きになれるように、或いはじつのところとても愛していたということを確認するために、苦手だと思っているものを題材にしているのかも。
 虹って、曖昧です。目に見えるのに、曖昧。
 人によって色の見え方が違ったり、二重になってることもあったり、短かったり長かったり、すごくはっきり色が見えるときもあれば、もうほとんど空に溶けているんじゃないかってときもあって、確かじゃない。虹の色の数は国によって違うけれど、もっと言えば、きっと人によって違う。
 私なら、虹の色をこれだ、と定義することはできない。その日の空によって違う、その日の光によって違う、その日の空気によって違う、その日の虹によって違う、その日の私によって、きっと違う。そういう風に見える。
 イリスは作中で(というより、文庫の完全版に収録されている番外編で)、空は大きな虹みたいだ、と、そんなことを言っていたのだけれど、私は少しだけそう思うところもあるし、少しだけそう思わないところもあります。
 空は時間によって色が変わるし、大体いつ頃になればこういう色に移ろい、こういう星が見えるようになるというのが分かるけど、虹は分からない。あいつは神出鬼没だ。雨上がりの空に浮かんでいるときもあれば、何故だか曇り空のど真ん中にちゃっかりいることもある。謎だ。意味不明なのだ。
 でも、けれど、悔しいことに、虹が見えると私の心は少し晴れるのです。
 虹が出ているのを見ると、それを見付けられると、誰かがその虹の写真を撮っているところが目に映ると、私は嬉しい。どうせすぐ消えてしまうのにね、どうせ、写真に撮ったところでろくに映りはしないのにね。それでも私は、なんだか少しだけ嬉しい。少しだけね。
 だから、虹は苦手。
 虹はまるで夢みたいだから、苦手だ。
 夢。人によって見え方が違ったり、二重になってることもあったり、短かったり長かったり、すごくはっきり姿が見えるときもあれば、もうほとんど溶け消えているんじゃないかってときもあって、確かじゃない。追いかければ追いかけるほど理想からは離れていくし、ああ届きそうだと思ったときにどこかへ姿をくらませたりする。
 でも、目の前に現れたら追いかけずにはいられない。
 目の前に現れたら、少しだけ嬉しくなる。
 どうせ未来はここからでは自分の目に映らないのだから、どこへ行ったって、どうせいつでも今がいちばん大変だと思うのだから、これだ、と思ったものが現れたら、それを追いかけずにはいられない。
 『たそがれの國Ⅱ』こと、『わが名はイリス:Over the Rainbow』は大体そんな感じのことがテーマなんですけど、書いてて私はやっぱりこのテーマ、苦手だなって思いました。虹のことも、夢のことも。
 『たそがれの國』シリーズには、主人公たちが「黄昏」に一度は呑まれかける、いわゆる挫折とか、逃亡とか、そういうニュアンスなのですが、精神的にボロボロになる、そういった瞬間がどのナンバリングにも一度はあります。そこから自分なりの答えを導き出して、彼らなりの黄昏への立ち向かい方でトゥルーエンドへと歩いていく、というのがこのシリーズで私がたいせつにしたい軸なのですが、これも私は苦手です。
 だって、一度諦めようとしたことと真正面から向き合って、もう一度挑戦してみようとするなんて、並大抵の精神力じゃあできないし、自分の心臓を一回握り潰して、鼓動が止まらないように止めてからじゃないと、少なくとも私にはできない。
 ああ、無理だな、私にはできないな、眩しいなって、そう思います。たぶん、だから書くんですね。私の書くものに旅人が多いのもそうだからだと思います。もっと広い世界を歩いてみたいと夢想するけど、私はきっとこの狭いけど落ち着く地元で、狭くて好きなものだらけの部屋の中、このパソコンの前から先へは進めない。三億円手に入れたら考えるけど、そもそもこんなことを言ってる時点で一生無理だぜ。
 私が心の底から大好きで、私の人生をここまで導いたというか狂わせたというか、そういうキャラクターがいるんですけど、彼も、自分が元々やってきて好きだったものから乗り換えてしまうほど、今はこちらのフィールドが自分の走る場所だと示してしまえるほど、それほど好きになったものを、追い付けないと、もうここでは走れないと、おまえみたいに強くないんだと、そうやって、確かに自分が選んだはずのフィールドから一度逃げてしまうんです。

 だけれど、その後、どんな形であれもう一度ピッチに立つんですよね。それで、そのやり方が褒められたものじゃなかったからそこで仲間にすごく怒られて、それで今度こそ、ほんとうに彼自身として、またフィールドに戻ってくる。そうして十年後、その選択を貫いてピッチに立ち続けている。
 彼はいろんな人にメンタルが弱いという評価を与えられがちなんですけど、私は、私はね、彼ほどメンタルの強いやつはいないと思います。折れないこともまた強さだけど、折れても、折られても、また折れても、最終的に自分の意志で、力で、その身体で戻りたいところに戻ってくるっていうのは、ほんとうにすごいことだと思う。ほんとに眩しくて涙が出ちゃうぜ。書きながら本気で泣けてきた。私は一体なんの話してるんだ? その人の名前、風丸一郎太っていうんですけれどね、彼、ほんとうに格好良いよ。
 だから、つまり、私は眩しいものが大好きで、ちょっと苦手だなってことなんですけれども! 朝陽とかね。太陽の光を浴びないと元気になれないけど、朝だなって思うと憂鬱になったり、その日光がめちゃくちゃ痛いなって思うこと、週に七日くらいあるよ。結局金曜日の夜がいちばん元気だったりするよね。
 最高に好きな仕事で身体も心も若干折っちゃってから、最近はあんまり頑張りたくないのであんまり頑張ってないと思うんですけど、頑張りたくなったらまた頑張るね。そんな感じでいこうぜ。結局創作をしていないと死んだも同然なので、そもそもそのピッチからはいなくなれないんですけどね! あとやっぱ三億円は手に入らないと思うので、多少頑張らないと普通に死んじゃうしな。
 まあなんか……無理な日はパソコンもメールも開かず休業にしてカラオケでも行きます。人生の内の何割かくらいはゴミクズみたいな日があってもいいんじゃないかな。ね。どうせ私たちは宇宙の塵……
 そして今日も変わらず宇宙の塵だったさ。良い子も悪い子も宇宙の塵ももう寝る時間だ。寝ましょう。ここ一年くらいブログとか書く余裕なかったんですけど、ちょっと余裕できた途端に内容がこれ。ここまで読んでくれた方はごめんな、そしてありがとう……一緒に宇宙の塵みたいな気分になってくれ……
 それではおやすみ! 夢など見ずにぐっすり寝てね!


二ノ国Ⅱ面白いです 綿谷真歩


P.S. ちなみに明日の夕ごはんはステーキを食べます。いえーい。この流れでお寿司も食べたいね。好きなごはんを語り続けるだけの記事とか書きたいです。ごはんが好きだ。

ロング・ジャーニー

綿谷真歩と申します。作品や記事は増えたり消えたり! 本拠地(創作物倉庫):https://note.mu/hallo_my_planet